2004年に六星占術に出会って以降、
占い本を読み漁るようになった飛鳥宗佑。
そんな、飛鳥宗佑が四柱推命に出会ったのは2008年の始め。
その頃気学や姓名判断の本も読み漁るようになっていて、
ジャンルを問わず、占いの本を沢山読んでいた。
「占いってスラスラ入ってくるから分かりやすい」
とりわけ、東洋系の占いを好んで読んでいた。
無料四柱推命サイトがあって、
試しに自分の生年月日を打ち込んでみた。
すると、「絶」「死」「病」と自分の命式に出てくる。
「・・・まぁこんなもんか」
所詮自分の運勢なんてこんなもん。
大吉など出るはずがない。
なんとなくこうなる事は分かっていた。
これが、四柱推命との最初の出会いだった。
さらに別の無料四柱推命サイトも見てみると、
金の五行(官星)が大過と出る。
3つまでなら良いが、それ以上だと官星がぶつかり合い
社会運を潰し成功しないと出てきた。
多いからいいんじゃないの?って思ったけど、
サイトには多すぎるとダメって書いてある。
「だから就職できないのかなぁ」ってなんだかブルーな気分。
当時僕はまだアルバイトの身。
正社員になろうと、度々企業の面接を受けていた。
同棲して2年経つ彼女がいたから、就職して結婚したかった。
でも、就職は決まらない。
飛鳥宗佑の四柱推命に対するファーストインプレッションは、
自分の運勢は悪いものだと知る最悪の出会いだった。
2008年夏、3日ほど休みをもらって実家の青森に帰った。
父親と会って、話をした。
帰り際「これから先どうするんだ?」と言われた。
明確な答えは出さなかったが、「就活はしてるよ」って言った。
父親に言われた「良いのかアルバイトのままで」が胸を締め付ける。
青森から戻った僕は、この先の事を考えた。
親からも心配されているし、彼女もいるし。
でも、なんか身動きが取れないこの感じ・・・
思い立った僕は、風呂上がり唐突に彼女に
「籍を入れよう」って言った。
2,3秒間があって彼女は「うん」と言った。
今考えると無謀だったって思うけど、若いパワーだね!
「今自分の力でどうにかできることって何だろう?」
って考えた時、就職は企業の方向性とかあるし、無理って思った。
じゃあ、できることは?って考えたら
「え~い、一先ず結婚してしまえー!!」だった。
一先ず、何かが決まれば何かが動くだろう
という、とてつもなく大雑把な考えのもと決断を下した。
しかし、僕の決断はあながち間違っていなかった。
その年の冬、アルバイト先の店長から
「社員にならないか?」というお声を頂いた。
時間帯責任者として働いていた僕を、店長が評価してくれたのだ。
僕は快諾し、翌2009年就職を果たした。
そして、その年の5月に無事婚姻届けを出したのである。
時は流れ、2014年。僕は、四柱推命を習い始めた。
純粋に運勢学をもっと知りたいという思いと、
過去苦い経験があった、四柱推命を極めたい。
そんな思いからだった。
講座が進むと、大運の見方、年運の見方が分かるようになった。
そして、昔傷ついた「絶」「死」「病」の謎が解けた。
官星が大過の謎も解けた。干関係が悪くないし、要は
「必ずしも社会で成功しない訳ではない」
を知れたのが大きかった。
運勢を割り出せるようになったので、
早速自分の過去を見てみた。2008年。
年運は、忌神財星運だったが、大運は喜神食神。
食神は、調候喜神でもある。
これか!このお陰でこの時期大きな出来事が
立て続けに起こったのか!
正社員⇒結婚⇒子供の誕生。
幸い、自分には配偶者縁があるのも四柱推命で分かった。
だから、彼女はあの時OKしてくれたのかな。
あの時変な四柱推命サイトに出会わないで、
今の四柱推命を教えてくれた先生に
出会っていれば良かったのに。
それが分かっていれば、悩まなかったのに。
思いつめて風呂上がりにプロポーズする事なく、
「今が良い時期だから、大丈夫!!」
なんてカッコつけることもできたのに。
まぁ今となってはタラレバだけど、
それでも客観的に正確な運勢を知れるって、
凄い事だと思う。
「勝つため」じゃなく「負けない」為に、
運勢は知っといた方が良い。僕はそう思う。
最後に、これからくる喜神運に期待しているのは
他の誰でもなく、僕自身である。
今よりももっともっと良い人生にしよう。そう思うんだ。
だから、四柱推命で自分の事を良く知ってほしい。
飛鳥宗佑は、そう思う。
この記事を書いた人:飛鳥宗佑(あすかそうすけ)
10年四柱推命に携わっています。鑑定した命式は200件を超えます。もっと沢山の命式を鑑定し技術を高め、依頼者様へ精度の高い結果を還元していきたいと考えています。
飛鳥宗佑の命式
年柱:辛酉
月柱:庚子 (癸)
日柱:乙亥
時柱:庚辰
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